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06.2013

百大名城, 值得一遊,沖繩遺產之旅,今帰仁城跡 世界遺産 包入場卷 ,情熱初夏沖繩 05.10. 巴士之旅

百大名城, 值得一遊,沖繩遺產之旅,今帰仁城跡 世界遺産 包入場卷 ,情熱初夏沖繩 05.10. 巴士之旅

Dコース    絶景・古宇利島 今帰仁・美ら海コース


唔係跟本地團,根本唔會去,但真係好正,5月既沖繩真係好舒服!
包入場卷~
估唔到有一個景點係世界遺產~
好開心a_a



別名 城郭構造 天守構造 築城主 築城年 主な城主 廃城年 遺構 指定文化財 位置
今帰仁城
北山城
山城
なし
湧川按司
13世紀頃か
北山王第一尚氏
1665年寛文5年、康熙4年)
城壁、石垣
国の史跡(今帰仁城跡 附シイナ城跡)
世界遺産(琉球王国のグスク及び関連遺産群)
北緯26度41分30.84秒
東経127度55分45.21秒


今帰仁城跡(なきじんじょうし)(※車イスの方は入場不可)
世界遺産。沖縄本島北部、本部半島にある歴史的なグスクです。標高100メートルに位置しやんばるを守る要でした。
今帰仁城跡とは

今帰仁城跡とは、沖縄本島の北部、本部半島にある歴史的なグスクです。世界遺産にも登録されたグスクは、沖縄県の県庁所在地である那覇市から車で約1時間30分の距離にあります。

今帰仁城跡の歴史は古く、13世紀までさかのぼるとされています。堅牢な城壁に囲まれたその城は、標高約100メートルに位置し、やんばるの地を守る要の城でした。

今帰仁城跡の写真 世界遺産攀安知(はんあんち)時代に、中山軍(ちゅうざんぐん)に滅ぼされてからは、監守(かんしゅ)が派遣されるようになり、1665年に最後の監守が引き上げてからは、祭りを執り行う場所として残されました。



今帰仁城跡の案内

今帰仁城跡の案内

主郭

大庭の東にある一段高くなった郭を主郭と呼んでいます。主郭には多くの礎石が現存し、桜の植樹のためか、一部移動させられている石も ありますが、かつての建物の形がいくらか想像できます。1982年から4年間発掘調査が行われました。発掘調査の結果13世紀終わりころから17世紀初め 頃まで機能していたことがわかりました。監守引き上げ以降は、火之神の祠が設置され、さらに来歴碑が建立され祭祀を行う場所として利用されています。発掘 調査が完了し、現在のように整備されました。

御内原

北殿跡の北側、一段高いところを御内原と呼んでいます。ここは、かつて「女官部屋」があったといわれているところです。城内でも崇高 な場所とされ男子禁制の御嶽テンチジアマチジがあります。北端からの眺望は城内で最もよいところで、大隅一帯の石垣をはじめ今帰仁村全域、伊平屋・伊是名 の島々、国頭の山並麓、晴れた日には遠く与論島が眺められ、海を眼下に見ることができます。

大庭

平郎門からまっすぐ伸びた七五三形式の階段を登りつめると開けた広場に出ます。ここは大庭(ウーミヤー)とよばれ、南側には南殿があったと推定され、北の一段高くなったところが北殿跡とされます。その建物の跡と見られる礎石が今も残っています。

七五三の階段

平郎門から大庭まで続く参堂は戦前に地元民によって桜の植栽とともに直線道に整備されます。戦後まもなく米軍の車両が城内へ登ることから、戦災文化財の修理として文化財保護委員会の指導のもと、今見る階段の整備が行われました。

大隅

平郎門を通り抜けて、大庭に向かって左側部分を大隅と呼んでいます。現在蜜柑や桜が植栽され、城外に抜けられる洞穴もあり、面積はかなり広い郭の一つです。ここは、かつて「城兵達の武闘訓練の場」であったと想定されており、以前大量の馬の骨が発掘された場所です。

カーザフ

カーザフは、平郎門からはずれた右側のくぼ地になったところをいいます。ここは、一段と低い所でその両側は切り立った「谷底」になっ ています。この地名の語義は「川迫(さこ)」つまり、川の谷間として理解されています。露頭した岩盤に直接積んだ堅固な石積みは、かつて城壁として鉄壁を ほこったものと想像することが出来ます。

平郎門

平郎門は今帰仁城の正門で、その名称は「琉球国由来記」に「北山王者、本門、平郎門ヲ守護ス」として登場します。現在見る門は、昭和37年(1962)に修復されたもので、左右に狭間があり、門の天井は大きな一枚岩を乗せた堅牢なつくりとなっています。

外郭

昭和50年、沖縄海洋博覧会の工事の進む中、石垣が積まれた箇所の発見がありました。これが城郭の一部であることが確認され、昭和 54年12月28日に国の史跡として追加指定されました。高さは2メートル前後と比較的低い石垣が延長数百メートル蛇行して続きます。石垣で囲まれた空間 を外郭と呼んでいます。最近調査が行われ、外部の整備が進められています。




今帰仁城跡の歴史

今帰仁城跡の歴史は古く13世紀まさかのぼります。正確にいつごろに誰によって築かれたかは、現時点では不明です。今後発掘調査が進むにつれ解明されるでしょう。
今帰仁城跡の歴史

三山時代

三山時代14世紀の中国の史書に琉球国山北王「はにじ(はにじ)」「みん(みん)」「はんあんち(は んあんち)」の三王が登場します。この頃の沖縄本島は北部地域を北山、中部地域を中山、南部地域を南山がそれぞれ支配した「三山県立の時代」でした。北山 王は沖縄島の北部を中心に支配下とし、中国と貿易をしていました。しかし1416年に中山の尚巴志によって滅ぼされ、北山としての歴史の幕を閉じることに なります。
 
 

監守時代

監守時代北山の敗北後、中山は北部地域の管理とし監守を設置。1422年以後監守の居城としてグスクを利用します。しかし1609年に薩摩軍による琉球侵攻にあい、城は炎上しました。監守が住まなくなって以後は御嶽とし精神的拠り所として広く県内から参拝者が訪れました。
 
 
 

監守時代以降

監守時代以降監守が首里に引き上げたとされる1665年以後の今帰仁村は精神の拠り所として崇拝されてきました。現在でも今帰仁城跡には火神の祠があり、その時代を垣間見る事ができます。

發表於2013.6.22
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